アメリカ史上最悪の魔女裁判、セイラム魔女裁判とは

セイラム魔女裁判の様子を描いた絵

アメリカで起きたセイラム魔女裁判とは

魔女狩りや魔女裁判というとヨーロッパのイメージが強いですが、実はアメリカにも魔女裁判の記録があります。

なかでも、大きな禍根を残しているのが1692年のセイラム魔女裁判。

アメリカの片田舎であるセイラム村で起きた魔女裁判で、約200名の村人が魔女として告発され、19名が処刑、1名が拷問死、5名が獄死。

20名以上もの死者を出した、悲惨でおぞましい魔女裁判です。

セイラム魔女裁判とは何だったのか?
魔女は本当に存在したのか?

その全容を紹介します。

スポンサードリンク

奇声をあげ、奇行に走る少女たち

事件が起きたのは、1692年1月のこと。セイラム村の牧師だったサミュエル・パリスの2人の娘、ベティーとアビゲイルが、突然、大声を出したり暴れ出すなどの奇行に走り出したことに始まります。

やがてその奇行は他の少女にも広がっていき、10人以上の少女が異常な行動を取るように。

彼女たちの回復を神に祈ると、少女たちは奇声をあげて床にのたうちまわり、聖書を投げつける始末。

これには村の医師もお手上げで、悪魔憑きだという判断を下したのでした。

少女たちの、とある秘密

異常行動を起こした少女たちには、ある共通点がありました。それは、秘密の占い会。

少女たちは大人に隠れて、牧師のパリス家の台所に集っては、使用人であった黒人女性ティチュバに占いを披露してもらっていたのです。

娯楽がなく、少女が外で遊ぶことを良しとしない風潮もあって、ティチュバの占いは大人気。村中の少女たちが台所に集っては、ティチュバに占いをせがむようになっていました。

そして、奇行を起こした少女たちはみな、この占いに参加していた少女たちだったのです。

スポンサードリンク

疑いが疑いを呼ぶ、泥沼裁判へ

娘たちが悪魔憑きであると判断された後、パリス牧師はティチュバを拷問し、少女たちに妖術を使ったことをなかば無理やり自白させます。

同時にベティーとアビゲイルに、彼女たちを呪った魔女は誰なのかと詰問し、ティチュバを含む3人の女性の名前を聞き出しました。

少女たちが名前をあげた3人はセイラム村の中でも社会的立場の弱い3名で、ここからセイラム村のおぞましい魔女狩りが始まったのです。

最初に告発されたティチュバは、逆らうことを許されない奴隷という立場であったこと、自白すれば減刑されるという2つの理由から、尋問されるがままに自分が魔女であることを認めさせられてしまいます。

ティチュバが「悪魔と契約した時、魔女が5人いた」と自分以外の魔女の存在を示唆する証言を行うと、人々の疑心暗鬼に火が付き、魔女狩り行為は恐ろしいスピードで拡大。

少女たちが名前を口にした者、村人からの申し立てがあった者たちは、男女の区別なく、みな魔女の嫌疑をかけられました。

当時の人口わずか1700名だったセイラム村で、最終的には200名以上もの村人が魔女として告発されるという泥沼裁判へ転じていったのです。

1年半続いた、地獄の魔女狩り

凄惨な魔女狩りは、1年半もの間続きました。

一度魔女の告発がなされれれば、逃げる術はありません。魔女だと自白するまで、過酷な拷問にさらされるからです。

村人たちは互いを疑い、魔女を告発すれば自分は助かるだろうと、言いがかりにも等しい理由で隣人を告発します。

ようやく魔女裁判が収束したのは1963年のこと。セイラム村の異常事態を知った州知事が、裁判の停止命令を出してのことでした。

しかし、その時には魔女裁判はすでに20名以上の死者を出していたのです。

発端となった少女たちの奇行の原因は、未だ解明されていないセイラム魔女裁判最大の謎。

少女たちが口裏を合わせて、悪魔憑きを演じていたのか?
集団ヒステリーや集団幻覚だったのか?
はたまた本当に悪魔に取り憑かれていたのか?

真相は、今となっては闇の中。

魔女裁判終了後、少女たちがどうなったのかも、記録は残されていません。